思い

1969年生まれ。神奈川県川崎市中原区出身。東京板橋区の自宅兼オフィスで二児の父をやりながら日々コンピュータシステムの開発を行っています。

プログラミングを職業としてから20年が経ちました。相変わらず最前線で楽しんでいます。15年前くらいは「プログラミングは自動化されてプログラマの仕事はなくなる」という主張もありました。実際、米国ではコンピュータ・サイエンスを学ぶ人が減っていたそうです。

それが「プログラミングは現代の読み書きそろばん。誰もが学ぶべき」みたいな話を頻繁に聞くようになって、2020年からは小学校で必修科目となります。受託開発事業では好条件の引き合いも多く、当事者として嬉しい反面、遠からず反動減が来るとも感じており、おごることなく粛々と腕を磨いてまいりたいと思います。

自社サービスへの思い 「宿泊・アクティビティの予約システム」をゼロから開発、一般公開してから3年が経過しました。開発のきっかけは、東日本大震災で大きな被害をうけた南三陸町(宮城県)の応援活動で頂いたご縁でした。まだまだ当初の目標の二割程度ですが南三陸町観光協会 のみなさまの不断の努力により順調に利用者・流通額が伸びています。システム導入によるお客様の利便性向上や宿泊・アクティビティサービスの販売・予約に関する業務効率化に加えて、大手プラットフォーマに流出していた手数料が地域内で循環することにより地域経済、コミュニティ、人材育成といったさまざまな面でプラスの効果が生まれていると考えています。

みなたび流通額遷移

システムを預かる側としては、不具合の修正、無数の機能改良、最新テクノロジー活用による自動化・低コスト化を重ねてきて、自信をもっておすすめできる仕上がりとなりました。今年より他地域の観光連盟・観光協会様への提供に力を入れてまいります。

個人的な話ですが2019年に50歳になります。この年齢になると「いかによく生きるか?死ぬか?」「何をした人と記憶されたいか?」を意識します。育児をしていると「この子たちに恥ずかしくない生き方は何か?」と思います。私の答えは「自身の開発したシステムを活用して地域で頑張っている人を笑顔にすること」です。

東京の都市部生活者として日々、利便性や豊富な選択肢といった恩恵を受けています。テクノロジーの活用も早く、より便利に、より効率的になっていくでしょう。同時に都市部がより効率的になるのに比例して、地方にしかない「豊かさ」もますます際立っていくと確信しています。地域で奮闘するみなさまの一助になれるよう頑張ってまいります。

勝又伸一 / 2019年6月25日更新

略歴

1986年
神奈川県立新城高等学校卒業。在学中は部活(野球部)に明け暮れる。主力として出場した二年生の秋季県大会で高井選手(同年阪神ドラフト1位)、高橋投手(広島・MLBで活躍)を擁して優勝候補筆頭だった横浜高校を破る など準優勝。
その半面、学業は低迷(下から10位以内)。練習がハードだった(正月三が日以外は朝練&夜9時まで)こともあるが、現役で国立大学に進学したチームメイトもいるので単なる怠慢であった。
1987~1998年
22歳で結婚。飲食店、警備員、運転手、工場勤務など様々な職業に従事。
1995~1997年
開業した飲食店の経営に失敗。借金・離婚などもあり心身ともに落ち込む。ニート生活に。
1998年
一年発起。自動車シートの組立工場に勤務しながら週末に情報処理技術者試験(2種) を学習。合格
1999年
株式会社ピースリー(東京・中野)に就職
1999年~2002年
松下通信工業(佐江戸)に常駐して携帯電話のデバイスドライバ・ミドルウェア開発に従事。
プログラミング言語はC/C++、アセンブラ(ARM)、OSはμItron。
コンピュータのハードウェア、OSに近い層のプログラム設計・開発経験によりコンピュータシステムや重要なプログラミングパラダイム(タスクスケジューリング、割り込み、マルチタスク・排他制御、各種プロトコル)の理解が劇的に深まる。
現在と比較するとCPU性能が低く(確か14.4MHz)、メモリが希少(確か512KB)かつ高価な時代だったため無駄のない効率的なプログラミングを常に意識するようになった。
あわせて大規模・高品質ソフトウェアの開発プロセスも経験。プログラマとして確固たる基礎を育む。
2002年
実務のかたわら体系的な知識習得にも励む。ソフトウェア開発技術者 に合格
2003年~2005年
役員に就任。.NET Framework特化戦略や自社ライブラリ充実を立案・推進。
多数の.NETアプリケーション開発にプレイングマネージャとして従事。
600%成長に貢献
2005年10月
同社を退職してフリーランスに
2006年4月
中国駐在。カシオソフト上海に企画部長(No2)として赴任。
120人(当時)の開発部隊トップとして開発プロセスの標準化や独自課題管理ツールの導入などによる効率化、品質保証室立ち上げなどに従事。
業務のかたわら、現地コミュニティ「上海オフショア開発フォーラム」を主催。セミナー開催、専門誌への寄稿など。
社内旅行の部署別芸大会で当時日本で流行っていたネタを披露(youtube) したら大受けして最優秀賞獲得。(代表は後列左端)
2008年8月
同社退職。NYANGO創業
2010年4月
現地語学学校と提携して中国語学習アプリ「天天村」を開発・ローンチ。
※2018年12月より一時休止中(開発環境~Rails、Flex~を刷新する労力をとれないため)
2010年5月
日本に帰国。NYANGOを法人化
2010年~2013年
イー・マーケティングワン様(現在、電通デジタル )でBI、CRMツールの設計・開発に従事。
2011年~
妻の実家がある東日本大震災の被災地支援活動に従事。
ICT関係では、お店再開マップ、ご当地物販サイト南三陸deお買い物 の立ち上げ、復興商店街Webサイト制作 など。
いずれも現地の事業者に無償で譲渡・引き継ぎ。
2013年~2017年
SEAOS様 で大手通販サイトのWMS(*)開発・運用に従事。
年中無休の複数の倉庫で1日1万件、年間250億円を超える受注を処理する高品質・高性能が求められるシステムにリーダとして従事させて頂く。顧客対応も。
(*)WMS: 倉庫管理システム(入荷、ピッキング・出荷、在庫管理など)
2017年~現在
ブレインパッド様 で各種プロジェクトに従事
2015年~現在
南三陸町観光協会様 と協働で「みなたび」を開発・ローンチ。
地域活性化基盤として進化中

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