50年続く秘訣~「日本秘湯を守る会 50周年記念式典」で思い知らされたこと

日本秘湯を守る会公式サイトより

はじめに

2024年3月13日(水)に、有楽町朝日ホールで「日本秘湯を守る会」の50周年記念式典が盛大に開催されました。一般の方々は応募多数のため抽選(※)だったのですが弊社は公式予約サイト(含む管理システム)を提供しているので関係者枠で(そのあとの懇親会とあわせて)参加させていただくことができました。そこで目の当たりにしたことが衝撃的すぎたので、10分の1も伝わらないと思いますがここに記録しておきます。また、この学び・気づきをどういった形で具現化するのか?について自問自答した結果を記載しました。

(※)一般の方々は定員450人(無料ご招待)のところその3倍以上の応募があり、千人もの方々が落選されたということです。会長が挨拶の冒頭でお詫びしておられました。

式典の模様

式典には、多彩な方々が参加されていました。日本秘湯を守る会を支えてくれている登山・温泉ファンである一般の方々に加えて、来賓(温泉協会など友好団体の代表、記念講演されたヤマザキマリさん、中央省庁の幹部職員、国会議員)、観光関連メディア、そして、日本秘湯を守る会の社員宿(宿泊施設のことをこう呼びます)。司会はNHKの渡邊あゆみさん。式典前のロビーは来場者と受付を担当した社員宿のみなさんでごったがえしていました。

来場者の受付を担当する社員宿のみなさま

オープニング/檜枝岐歌舞伎(ひのえまたかぶき)

式典の最初は「檜枝岐歌舞伎(ひのえまたかぶき)」でした。日本三大農村歌舞伎に数えらえる福島県南部にある小さな村(檜枝岐村)で300年近く継承されている伝統歌舞伎ということ。当初「なぜ?これ?」と感じたのですが、その後、繰り返された「日本秘湯を守る会」の哲学・理念を聞いて、これほどふさわしいものはないと腑に落ちました。

小さな村で300年継承されてきた檜枝岐歌舞伎の精神やありかたは、小さな温泉宿が支えあう「日本秘湯を守る会」が範とできる数少ない事例なのだと思います。

ヤマザキマリさんの講演

ヤマザキマリさんは、幼少期から日常として身構えることなく「秘湯」と親しんでおられたそうです。それが海外移住で喪失したことで顕在化した「温泉愛」に気づき、そのストレス(?)を熱く語っていたら北海道のテレビ局に「温泉好きなんですよね。それでは」と誘われて「温泉レポーター」することになり、パートナー(人文系の外国人研究者)の研究など、あんなこんなが重なって出世作「テルマエ・ロマエ」に結実していったのがとても興味深かったです。

作品を支える重厚な「古代ローマ帝国」に関する知識(特に統治手段としての温泉、温泉がもたらす政治的効用)や「世界の温泉事情」を絡めながら「人はなぜ温泉にひかれるのか?」という話を独自の観点で解説してくださいました。繰り返しおっしゃっていたのが「日本の温泉とそのたしなみ方は世界的にみても稀有。独自の文化」という点です。(海外の温泉は海水浴みたいなものでキャッキャッはしゃぐのがデフォルトだそうです。笑)

また「温泉には、経済性では測定できないインビジブルな価値がある。ローマ帝国はそれをよく知っていて統治手段としてフル活用した。」という話から展開して、「現代でも欧米ではインビジブルなものを大切にしているが、日本は弱い。例えばコロナ禍で欧米ではアーティストに手厚い支援があったが日本では皆無だった」という指摘がありました。

成熟した日本が今後どのような方向にかじをとるのか?「過去の栄光をもう一度」なのか?それとも違う道があるのか?そういったことを考える際の指針となる重要な示唆を含んでいると感じました。来賓の政治家や行政のみなさんにも印象に野子ttことと思います。

そういったことを踏まえて『日本秘湯を守る会の宿は、そういった商業的な「温泉」とは一線を画している。決して楽ではないだろうし、頭が下がる。日本の温泉文化の担い手であり守り手』と高く評価しておられました。

また、漫画家として「私は、日本の温泉文化を漫画で下支えしていければと思う」とおっしゃっておりました。とても心強いですね!!

温泉とは何か?

ヤマザキマリさんが、パネルディスカッションの時にしみじみとおっしゃった一言が、凄く共感できたので紹介させていただきます。

『(理屈抜きで)生まれてきたことをよかったと思わせてくれる場所』

パネルディスカッション「秘湯を守り未来につなぐために」

パネリスト

コーディネイター

関根和弘さん(朝日新聞社・GLOBE+編集長)

秘湯を守る会が大切にしていること~50年続いてきた理由

いよいよ本題です。なぜ、秘湯を守る会が50年続いてこれたのでしょうか?

50年前(1974年)というと「Japan as No1」と評価されるほどになる15年ほど前の時代。公害など負の側面もかすむほどに高度経済成長に沸きたっていた右肩上がりの日本です。当時、日本秘湯を守る会以外にも大手の旅行代理店が類似の団体を多数立ち上げたそうです。ですが残っているのは、日本秘湯を守る会だけ。

その差はなんだったのでしょうか?

佐藤名誉会長が言います。

50年前、大手旅行代理店の多くが似たような団体を設立した。」

残ってる団体は日本秘湯を守る会だけ。

なぜ、日本秘湯を守る会だけが残ったのか?」

それは、、、

50年続いた理由は、金儲けより理念を大切にしてきたからです。

我々は、有名な観光地の大きなホテル・旅館とは違う。」

「単独では生き残れない小さな存在。共生・支えあい。それを大切にしてきた

日本秘湯を守る会 名誉会長 佐藤好億

日本秘湯を守る会の理念とは何でしょうか?

前述した「共生・支えあい」はその一つです。もう1つあります。

秘湯の社員宿が会から求められるのは、デジタル化とかインバウンド対応といった「戦略」「方法論」の類ではありません。「哲学」です。

人はなぜ旅をするのか?

その旅人をもてなすとは何か?

自身の生き方、生き様は旅人に恥ずかしくないか?

こういったことを常に自問自答することを要求されるのです。

たとえば、会の創設者である故・岩木一二三先生は、唐突に宿を訪れて宿主と周辺を散策しているときに、その辺に生えている植物が何なのかを問い、そこで主人が答えられないと「山の宿の主が、 自分の宿の周りのことを知らないというのは何事か」と指摘(というか叱る!)するそうです。旅人を迎える側の姿勢としてそれでいいのか?!と問うわけです。

これが、日本秘湯を守る会の理念・哲学であり50年続いてきた秘訣です。

もちろん、名誉会長自身が30歳のころから考え続けて「やっと最近ちょっとわかってきた気がする」というほどの命題ですので、私の理解はまだまだ浅はかだと思いますが、少なくともきわめて重要であったと言って間違いないと思います。

日本秘湯を守る会の公式ホームページ予約サイトのトップページでは「旅人の心によりそう 秘湯は人なり」というキャッチコピーを大きく掲載していますが、この意味がおそまきながら理解できました。

「何もしないという贅沢」の形

星会長は、パネルディスカッションの際に「何もしない贅沢を楽しんでほしい」ということをおっしゃっていてハッとさせられました。自分は旅にいったら「あれもこれも」と予定を詰め込むタイプだからです。もちろんそれはそれで学びや出会いがあり有用なものではありますが、「生き方・生きざま」について深く考えるようなことはできてるかというと疑問です。

ちなみに星会長営む「自在館」は、湯治宿です。他にも「インバウンド対応について、予約サイトの多言語化程度はするけど、おもてなしの本質的な形としては何も変わらないし、変わるべきでない」ともおっしゃっていて、本当に「ぶれない」「地に足がついている」なぁと感嘆しました。

日本秘湯を守る会 会長 星雅彦
式典の後の記者会見の模様
式典に続く懇親会での鏡割りの様子

日本秘湯を守る会の宿と観光地の大きな旅館・ホテルとの違い

「日本秘湯を守る会の宿と観光地の大きな旅館・ホテルは違うのだ」という表現を何度も聞きました。もちろん「大きな旅館・ホテルを否定・批判」するものではありません。あくまでも「違い」です。

違い/資金・規模・設備・デジタル活用度

例えば、資金・規模・設備といったお金で手に入るモノや見た目の豪華さ・きらびやかさは、日本秘湯を守る会の宿は大きな旅館・ホテルより劣るでしょう。また昨今、叫ばれているデジタル活用度の面でも劣るでしょう。メールだと連絡がとれないのでやむを得ず日中に電話をかけたりといった手間もかかるかもしれません。

違い/料理/味・食材が劣るのは大規模店の宿命

旅の醍醐味の一つでもある「料理」はどうでしょうか?これは大きな旅館・ホテルになればなるほど「つくりおき」「安定供給」「効率化のための手順の標準化」といった制約が大きくなります。これは料理長の腕前とは関係ありません。

「つくりおき」すれば味はおちます。数をそろえる必要があるので、食材は市場に多く流通しているものしか扱えないのでどうしても平均的になります。自家栽培やその日の漁でとれた新鮮な特別な食材を扱うようなことはできません。

たとえば「横浜中華街」で美味しく食べれるのは「大通りにある有名大規模店でなく細い路地を入っていった小規模店」というのが地元(中華街で働く人自身も)の共通認識ですがそれと同じです。

違い/おもてなし

さらに旅の本質とでもいえる「おもてなし」という面はどうでしょう。たとえば秘湯の宿の主人・女将と大きなホテル・旅館の支配人の違いを考えてみます。大きなホテルや旅館の支配人さんは、見た目は洗練されていて、そつなく接客をこなすでしょう。外国語も流ちょうに操るかもしれません。情報収集も怠らず、最近のテクノロジーにも明るくて収益最大化とか効率向上も一家言あるかもしれません。ただ、多くの宿泊客がいる中で、お客様に一人一人にさける時間は限られているでしょう。どうしても表面的な接客にならざるを得ません。

また、上述したような「人はなぜ旅をするのか?」とか「自身の生き方、生き様は旅人に恥ずかしくないか?」を考えることは多くないのではないでしょうか?

こういったことを考えると、お客様一人一人にしっかりと向き合った接客(=おもてなし)という点では「日本秘湯を守る会」の宿とは大きな差が出てくるのではないでしょうか。

ヤマザキマリさんが繰り返しおっしゃった「インビジブルな価値」とはこのことでしょう。

(※)地域の自然環境を保全するために反対運動したり、政治家や行政に意見具申(※)したりとなると、なおさらです。余談ですが「政治家や行政への意見具申」に関して凄いなと思ったのは、意見が対立している省庁の職員がこの日登壇していました。そこで、意見の相違があることを率直に認めて、その上で対話する姿勢~勝手にすすめることはしない~を明言していたことです。職員がかけつける存在感も、そういった対立があることを互いに目の前で公言できる信頼関係も凄いなと。

「スタンプ帳」は単なる販売促進ツールではなかった

「日本秘湯を守る会」を象徴するものといえば「提灯」です。さらに、もう一つ「スタンプ帳」があります。

日本秘湯を守る会 スタンプ帳のGoogle画像検索結果
日本秘湯を守る会 スタンプ帳のGoogle画像検索結果

このスタンプ帳、スタンプが10個泊まると無料で1泊できるという特典があります。

私はこれを単に販促の一種と考えていたものです。要は「ポイント10倍」みたいなものだと。デジタル化せずにあえてコスト高・手間暇のかかる(紛失したり、忘れたり、汚したり)アナログな「紙」でやるのが情緒的で受けるのだ。という感じの理解です。

ところがその解釈は的外れでした。もちろん販促ツールの意味あいもありますが、その根底を貫くのは「感謝」「支えあい」という哲学であり、それを具現化したものがスタンプ帳だったのです。

「3年間の間に10回も足を運んでくださってありがとうございます。」という感謝の表明であり、「自分の宿で押すスタンプは他の社員宿のためになり、ほかの社員宿が押すスタンプは自分たちの宿のためになる」という支えあいです。

ある宿オーナーさんは、スタンプ帳を押すときは、他の秘湯の宿のことをお話しするようにしている。とおっしゃっていました。

岩木一二三さんが「先生」と呼ばれる理由

さて、もう一つ重要な学びがありました。日本秘湯を守る会の名誉会長、会長をはじめ社員宿のみなさんは、故・岩木一二三さんのことを敬意をこめて「先生」と呼びます。実は、私はこれがいまいち腑に落ちてませんでした。旅行代理店経営者ということでしたので、重要なパートナーであり、腕利きでけた外れに多くの送客をしてくれたのだとしても「先生」とは呼ばないでしょう。それがやっと理解できました。

この日、式典のために制作された「日本秘湯を守る会の歩み」を紹介する映像で岩木一二三さんをはじめてみました。社員宿が参加するセミナーでの講義の模様です。講義の内容は時代のトレンドを踏まえたマーケティング論や接客の方法論とかではなく、やはり哲学でした。そのトーンは「叱咤激励」「説教」のようでした。上記の岩木さんの写真はおだやかな好々爺を想像させますが、この映像でみた当時の岩木さんは眼光鋭く、おっかないくらいの方でした。

式典の後に開催された懇親会の最後を締めくくった積田朋子さん(観光経済新聞社長)は、岩木さんとの出会いを語ってくださいました。岩木氏に、初見で怒鳴られたそうです。「なんでこんな広告ばっかりの紙面つくっているんだ!!」と。まだ若かった積田さんは気が動転して膝がガクガク震えてしまうほどだったそうです。その一方で「あんなに親身にアドバイスしてくれる人はいなかった。」とも。また、自社創業者は、岩木さんのところにいった翌日はのどが枯れていたそうです。はたから見たら口論しているのではないか?という議論をしていたのでしょうかと。

岩木さんの人柄は上述した内容で想像いただけると思いますが、これだけで「先生」を呼ばれる理由にはなりません。岩木さんが先生と呼ばれる理由、それは、岩木一二三語録で名誉会長が端的に語ってくださっていました。以下、書き起こしです。

「岩木一二三語録」編纂にあたって

日本秘湯を守る会 名誉会長 佐藤 好億(大丸あすなろ荘

岩木一二三氏とは、
当時の株式会社朝日旅行会の創業者であり、
日本秘湯を守る会の礎となった方でした。


昭和40年代、高度成長期の真っただ中、
大型の観光バスが温泉地へ多数の旅 行客を輸送する中、
私どものような山の温泉は、バス1台が通行することも困難な、深山に分け入る陸の孤島で、
かろうじて湯の明かりを灯していた登山基地か湯治場の集まりでした。
そのような小さな宿の集まりは、世間から「辺鄙である」、「古臭い」といった理由で敬遠され、
大手の旅行会社からも、
バス1台入れないようなところは、温泉宿とは呼べないと敬遠されました。
宿としての生き残りをかける中、苦渋の果てに出会ったのが岩木氏でした。
岩木氏は、辺境の地にある小さな一軒の宿も仲間として受け入れてくださいました。
そして、日本中で同じような思いをしている宿が集まろうという気概が高まり、
昭和50年、東京・上野にて33軒の宿が集まりました。
これが日本秘湯を守る会の始まりです。

岩木氏は、「秘湯」という造語を生み出した人物であり、
宿への叱咤激励、 講演での金言、
今思えば、岩木氏によって昭和の時代に提唱された言葉が、
近代化され今の時代においても
宿を営む者にとって、大切な心構えであると思い知らされます。

当時の講演会の映像を知らない人が見れば、
怖いオヤジが旅館の主人に凄んでいるように見えてしまうかもしれません。


しかし、その厳しい言葉の端々には、
宿のこと、温泉のこと、
ひいてはそれを取り巻く地域のことを誰よりも真剣に考え、
愛をもって説いていることが汲み取れるわけであります。
例えば、岩木氏は会員の宿へ事前の連絡をせずに伺うわけです。
そこで宿の周辺地域の案内を主人にさせるのですが、
その辺に生えている植物が何なのかを問うのです。
そこで主人が答えられないと、指摘するのです。
「山の宿の主が、 自分の宿の周りのことを知らないというのは何事か」と。
そして、「来月また来るから、そ の時までに俺に案内できるようにしておきなさい」と。
これは、都会で忙しなく生きる人たちが非日常感ややすらぎを求めて、
旅に出るわけですから、そこで迎え入れる宿の、人としての情けと親切さが問われるわけで、
ただ豪華な宿泊機能やアメ ニティだけが揃っていればいいような、
近代的なサービスなんか求めていないということを、
岩木氏は伝えたかったのです。

旅館のあるべき姿とは、
旅人に感動と心のやすらぎを与え、
また訪れたいと思っ ていただけることであり、
そこに利益を求めてはならないのです。

これこそ、日本秘湯を守る会が掲げる
「旅人の心に添う秘湯は人なり・・・」
の理念であるわけです。

最後に、岩木先生が「日本秘湯を守る会」に込めた思いが語録の冒頭に掲げられていたのであわせて紹介させていただきます。

岩木一二三語録の巻頭「秘湯をさがして」より

秘湯をさがして~岩木一二三語録より

田舎を捨てた人間だけに
人一倍を恋しがる東京人の一人である。
幼い頃にいろりのそばで母のぞうり作りを見、
縄をなう父に育てられたからかも知れない。

しかし、そのふるさとの家も跡かたもなく近代化され、
牛小屋はコンクリート建ての車庫に変わってしまった。
おいやめいが各々の車を持って走り回っているほどの経済発展のすさまじさである。
いったい、老いゆく自分たちがどこに安住の地を求め、
どこに心の支えをおいたらいいのだろうか
と迷いながらさまよい歩いて二十年の歳月が流れていった。

旅行会社に席を置くために、
つい旅に出たり、旅と結びつけてしまうが、
もうホテルもきらきらした旅館もたくさんだ、
炭焼き小屋にでも泊めてもらって、
キコリのおじさんとにぎりめしでもほうばってみたい
と思うこともしばしば。

馬鹿らしくて夜行列車なんか乗れませんよ。
ジェット機が早くて楽で・・・。
といったかと思うと、
やっぱり連絡船はいいなあー
人間の哀歓を知っている乗物だ。
自分たちが必死で求めてきた近代文明に何か欠けていることが
ようやく解りかけてきた昨今の日本の姿であろうか。

それはたしか昭和四十四、五年頃だったと思う。

せめて自分だけでもいい。
どんな山の中でもいい、
静かになれるところで自分に人間を問いつめてみたい
と思って杖をひいたのが奥鬼怒の渓谷の温泉宿だった。

ランプの明かりを頼りに
いろりで主人と語りあかしたあの日が今でも忘れられない。
目あきが目の見えない人に道を教えられたような思い出がよみがえってくる。
公害のない蓮華温泉の星空はきれいだった。
人間と宇宙がこれ以上近づいてはならない限界のようにさえ思われたのである。
細々と山小屋を守る老夫婦の姿には頭が下がった。
人間としてのせいいっぱいのがんばりと生甲斐が山の宿に光っていた。

ひとびとの旅は永遠に続いてゆく。
それぞれ目的の異なる旅かもしれないが…
いづれの日か山の自然と出で湯は、
ほのぼのと人間らしさをよみがえらせてくれるこ とだろう。

金で買ったどんな立派な物よりも、
秘湯で歴史をじっと守ろうとじっとたえてきた人の心の方が
ずっと尊いような気がしてならない。

秘湯を守る皆さんや秘湯を訪ねられるお客さんに、
私たちは近代社会の中で失いかけていたものがあったのでは・・・
という問を投げかけてみたい。

これからの日本に大切なことは何か。

それは、人間が共に考えながら、助け合いながら築き上げ、守りぬく、
ぬくもりのある人生の旅ではありますまいか。

弊社としてやるべきこと~理念を表現すること、支えてくれている方々(秘湯のファン)の顔を見えるようにすること


実は、私は、懇親会で話題にすることとして、自分の専門的な観点からコメントできるようにメモを作成していました。具体的には「インバウンド対応、生成AI対応、アクティビティ活用」みたいな話題です。ですが、その準備はまったくの無駄でした。だって、こんな話を聞いた後で、こんな表面的な話をするのは恥ずかしいですから。本当に良い話を聞かせていただきました。

さて、個人的な心掛けとして「いい話を聞いた」で終わってしまわないようにしています。良い話を聞いた後は、行動に反映する必要があります。ヤマザキマリさんが「漫画で下支え」するなら、弊社は「情報システムで下支え」できます。今回、学んだことを踏まえて弊社に何ができるでしょうか?

もちろん時代の変化(例えば「インバウンド」「デジタル化」)や技術の変化(例えば「生成AI」「Web3.0」)に対応していくことは当然です。予約サイト、情報システムとして改良すべきことは無数にあります。

そういうことでなく

  • 「日本秘湯を守る会」の理念を支えるシステムとしてどうあるべきか?
  • これまで理解できてなかったのだから、きっとシステムにも欠けているものがあるのではないか?

と自問自答してみました。少し考えたら、とても重要な事柄が2つ欠けていることに思い至りました。それは以下です。

  • 理念を発信・表現できていない
  • 秘湯を支えてくれるファンにスポットがあたっていない

「秘湯を守る会が大切にしている理念」を十分に発信できていないです。サイトを隅々まで把握している私が理解していなかったということがその証拠です。もっと掲載する情報や表現方法を工夫する余地があると感じました。今回の式典のために制作された岩木一二三先生の語録やプロモーションビデオや新聞記事など素材はたくさんあるわけですから。そうやって、日本秘湯を守る会の理念、営利最優先の宿との違いを明確化することに貢献できればと思います。

その結果として、より多くの人に秘湯公式WEBを利用(ここで各宿から徴収する手数料が日本秘湯を守る会の活動原資となります)いただければ、それは世界的にみても希少で独自性のある日本の温泉文化や真のおもてなしを次世代につないでいくことに直接つながります。

もう1つは、ファンの顔・声が見えていないことです。

「日本秘湯を守る会」に加盟する宿泊施設は、日本独自の温泉文化を守り、後世につなげていく存在です。そして、その秘湯の宿に足を運んでくださるファンの方々は、秘湯の宿だけでなく、日本の温泉文化をも支える方々であるわけです。その方々にスポットをあてる(照らす)のは大切なことではないかと考えました。

口コミ機能の活用

こう考えたときに、すぐにでもできるのは口コミ機能の活用です。

現在、秘湯ではちいプラ標準機能の「口コミ」を利用していません。導入時にその理由を確認したら「Googleに好き勝手書かれているから間に合っている」ということでした。深くは聞かなかったのですが”好き勝手”という表現は、”理不尽”というニュアンスを多く含んでいるようだったので、「そんな投稿に付き合いきれない」という思いがあったのだと思います。(実際、金儲けのために悪い口コミを書きこむ業者~削除してほしいなら金を払えと要求~があり問題となっています)

弊社の口コミ機能は、実際に利用した人しか投稿できません。つまり金儲け目当ての業者は投稿できません。またあまりに理不尽だったり誹謗中傷に相当する投稿は非公開にすることができます。そして宿からコメントすることも可能です。写真投稿も可能にしようと思います。

旅を終えて、自宅に戻って、旅を振り返った時、満足度が高ければ高いほど「あー、この感動を誰かと共有したい!おすすめしたい」と考える人は少なくないと思います。そのときの受け皿が「口コミ」になります。秘湯の宿主はお客様とたくさん会話するそうです。「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」というありきたりな定型文ではなく、その方だけのオンリーワンは一言を返信することができるでしょう。

サイトを訪れる秘湯未体験の方々が、その対話を見て「あ、なんか、いいな」と思っていただけるような気がします。以下は、口コミでの対話を大切にしている(=「接客の延長」と考えている)「Aeru STAY」(岐阜県恵那市)で人気の「保古グランピング」の口コミページです。「あ、なんか、いいな」って感じませんか?

この施設では「スタッフの人が最高!」というコメントが頻繁に投稿されますがこれはスタッフの方の励みにもなっていると思います。余談ですが、公式サイトの予約は年間2万件を超えます。それだけの口コミを学習したら「日本秘湯を守る会特化型の対話型AI」ができるかもしれません。

地域OTAへの横展開

弊社が開発提供する「ちいプラ」は、地域特化型のOTAを構築できる情報システム基盤です。

弊社のトップページでは「地域OTA」この理念は、を他の地域のみなさまにも展開して、秘湯をもして「地域を守る会」みたいに「理念」を大切にして、旅人に寄り添う集団になれたらいいなと。

最後に

記念式典からはや2週間が経過しましたが、いまだに心が震えます。日本秘湯を守る会が大切にしていることが少しでも伝わったらうれしいです。

3月3日(父の命日)、3月11日(東日本大震災)そして、3月13日(日本秘湯を守る会50周年記念式典)と立て続けに「生きる」ことについて深く考える機会をいただきました。

もちろん、御年80歳の名誉会長が「やっとわかってきた気がする」というような話なので、私が理解はまだまだ浅いものであることをわきまえなければいけません。そもそも「これが正解!」というようなものでもないと思います。つきつめれば「いかにしてよく生きるか?」という哲学なわけですから。

日本秘湯を守る会に携わらせていただいている一人として、自覚をもって取り組んでまいりたいと思います。私自身も岩木さんや名誉会長のように信念に従って生きたいし、情報システム職人として、秘湯を守る会の宿やそこに訪れる温泉文化を担うファンのために恥ずかしくない情報システムや表現を考えていかなきゃと思います。

日本秘湯を守る会を担う次世代~例えば草野正人幹事長(甲子温泉 旅館大黒屋) や 常務理事の檜澤さん(ゆもとや) ~の方々と近い世代なので、指導をいただきながら、60年、70年、100年と日本秘湯を守る会が続いていけるよう貢献したいと思います。

日本秘湯を守る会 幹事長 草野正人
日本秘湯を守る会 理事 檜澤京太

なお文中の各種の発言・解釈は当方の記憶によるものです。何か問題を含んでいた場合は、その責任は当方にあります。

最後になりますが、秘湯を守る会を支えてくださっているファンの方々に心から感謝いたします。拝